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シアターカフェ 7年間の上映リストアップ!リニューアルオープンに伴うクラウドファンディング始めます!

まさかこんな時期に重なると思わず、なんともタイミング悪くて恐縮ですが、コロナ禍で皆さま自身が大変な中、シアターカフェリニューアルオープンに向けて皆様からのご支援を賜りたく、クラウドファンディングを始めます。本当に恐縮です。
クラウドファンディングぺージは↓。
https://motion-gallery.net/projects/new_theatercafe
4/27(月)13時からスタートします!

このクラウドファンディング実施にあたり、シアターカフェ7年間に企画・上映させていただいた作品のリストをまとめました。
クラウドファンディングのページでは、関わってくださった皆様が多すぎて、一人ひとりのお名前を挙げられなかったので、ここであらためてお礼を申し上げます。
リストには、レンタルでの上映や夕暮れシアター、大開放祭が入っていないので、掲載されていない方もいらっしゃいますので、ご了承ください。
リストはこちら↓
実写関連 上映リスト
短編アニメーション関連 上映リスト


シアターカフェにお越しいただいたり、ご支援、ご協力いただいたすべての皆様に心から感謝しております。
シアターカフェの歴史が、これからもまだまだ続くように、そして共に作っていっていただけると幸いです。
よろしくお願いします!

シアターカフェ改装工事の進捗状況

ご無沙汰しております。
前回の工事レポートから約1か月半、着々と工事は進んでおります。
昨日施工業者さんや設計さん、インテリアデザイナーさん等々を含めての打ち合わせがあり、現場を見てきました♪
もう2階にも上がれる♪
2階改装中_R
床材はワイルドな独特の質感のアカシアです。素足で歩きたい感じでとても素敵でした。出来上がりが楽しみです。
照明やプロジェクタ、スクリーン、スピーカーの位置確認などをしましたが、頼りになる豊橋EMC設計さんがいて心強いです。
suzuki_R.jpg
1階の棚やドアの仕様なども見せていただき、どんなふうに仕上がるか、ワクワクドキドキです。ちなみに看板は旧シアターカフェのものを大事にとってあったので、それを使用します。うまくマッチするといいなあ。
工事は今のところ順調に進んでいますが、コロナ禍では先行きが読めない状況なので、何があるかわかりません。オープン予定日などは確定したらおしらせしますね。
ミニシアターエイドなどで皆様からのお気持ちを十二分に知ることができたので、その気持ちに応えられるような場所を作っていきたいと決意を改めました。引き続きよろしくお願いします。

シアターカフェ移転&リニューアルオープン記念 大開放祭開催 作品公募のおしらせ


シアターカフェ移転&リニューアルオープン記念 大開放祭開催 作品公募のおしらせ
2012年4月から2019年2月まで名古屋大須で自主映画やアートアニメーションの上映をメインに皆様に愛されてきたシアターカフェですが、2020年この初夏、東区白壁に場所を変えて新たに生まれ変わります。それに伴い、新しい場所をより多くの方々に知ってもらうために大開放祭を開催いたします。大開放祭で上映する作品を下記の通り募集いたしますので、たくさんのご応募お待ちしております。


■募集内容
2020年7月(予定)、名古屋市東区白壁にシアターカフェが移転リニューアルオープンするのを記念して大開放祭を開催します。応募された作品の中からシアターカフェのスタッフが9時間分のプログラムを選出し、上映時には観客賞を選びます。応募作品は30分以内の作品でノンジャンル。
複数作品の応募も可能です。音楽その他著作権をすべてクリアにしたものを使用してください。

■応募方法
・シアターカフェ公式サイト内のエントリーフォームからご応募ください
ここをクリックするとエントリーフォームに飛べます
作品はYoutube等の「限定公開リンク」でまず応募願います(後日上映用に素材、告知用のメイン画像をお送りいただきます)

■応募資格
国内外の映画祭での受賞作、映画館での公開作品は除きます。
また自作の上映時(8月予定)来場してもらえる方に限ります(交通費自己負担)。

■申込締切
2020年5月6日(水祝)24:00まで

■賞
●シアターカフェ賞(1作品)  スペースレンタル無料1日使用権など

■著作権等
応募作品の著作権は応募者に帰属します。ただし大開放祭の宣伝のため、予告や宣材画像はシアターカフェが使用できることとします。

※時節柄、オープン自体の日程が後ろ倒しになる可能性があります。大開放祭の日程も準じて変更になる可能性もありますので、予めご了承くださいませ。



『ミッドサマー』のネタバレ感想

『ミッドサマー』、3月頭に通常版を観て、先週にディレクターズカット版を鑑賞しました。2回観たので、感想を書きました~。

サブカルチャーとしてのホルガ
『ミッドサマー』 アリ・アスター 2020年


映画『ミッドサマー』は、土着宗教ホラーの形式を借りた失恋映画だといわれている。本作はヨーロッパの原始宗教・ペイガニズムや宗教論などが、監督の構想のベースになっている。その上で、監督自身の失恋体験を軸にして作られている。映像のヴィジュアリティでいえば、グルジア共和国出身のセルゲイ・パラジャーノフ監督作品の宗教的で演劇的なスタイルや、ペイガニズムがベースにあるイギリス映画『ウィッカーマン』など、さまざまな映像作品から着想を得ている。映画内では、グロテスクで残酷な描写と美しい風景や衣装、のどかな日常生活、フォークソングの原型のような宗教歌や儀式などのシーンを通じて、宗教的共同体ホルガの特殊性を浮き彫りにしている。

自然宗教的な共同体ホルガは、アメリカ人大学院生たちにとってサブカルチャーとして機能する。サブカルチャーとは、同時代のより大きな共同体である社会を、小さな共同体の視点から逆照射するものである。それにより、社会の課題点が浮き彫りにされるのである。『ミッドサマー』では、大学院生たちが所属するアメリカ社会の問題点を、小さな共同体であるホルガが写し鏡のように反射している。それは、現代社会における繋がりを分断された個人の孤立状態という問題の明示である。主人公たちは一見、仲間や恋人同士のようにみえるが、表面的な付き合いしかしていない。もともと連帯が壊れた、しらじらしい関係性が冒頭から当たり前に描かれている。本作では、ホルガという強固な連帯を持つ共同体をみせることにより、現代社会の人々の繋がりが失われているという課題を浮上させるのである。

現代社会の壊れた連帯という課題を示す4つの要素として、主要キャラクターの孤立、壊れた人間関係、サブカルチャーとしてのホルガ体験、ホルガの世界観を支える映像の美的側面が挙げられる。まず一つ目の、主要なキャラクターが孤立している点についてみていく。文化人類学専攻の大学院生クリスチャンは、周囲に流されるタイプで自分の考えがない。平気で人のアイデアを取って、罪悪感も持たないタイプである。ヒロインのダニーとは、すでに恋愛感情はなく情だけがある共依存の関係である。最終的には、周囲に翻弄され殺される。ダニーは家族関係の影響もあって、うつ病やパニック障害がある。そして、恋人のクリスチャンに精神的に依存している。最終的に彼女は、クリスチャンからホルガへと依存先を変えるのである。ジョシュは、真面目で自己中心的である。自分の研究について妥協はしない。自己の探求心を正当化し、相手のルールを考えない振る舞いゆえに殺される。マークは、能天気で何も考えていないようにみえる。思ったことをそのままはっきり発言し、小学生男子のような悪ノリが大人になっても通用すると思っている。その不遜な言動の結果、殺される。ペレは一見、優しい人である。しかし、コミューンに人生をささげているため、大学院の仲間とは根底では断絶している。だからこそ、生贄として友人をささげることに何の迷いもないのである。皆は仲間同士のようにみえて、実際は断絶し孤立している。その様が、映画では前景化されている。

続いて二つ目の、主要なキャラクター同士はお互いの関係性が壊れている点についてみていく。まず冒頭から不在の相手について悪口を言う描写がなされる。しばしばパニックを起こすダニーは、恋人クリスチャンやその仲間から煙たがられている。妹のことで不安になったダニーがクリスチャンへ電話すると、その横でクリスチャンの友人たちは彼女の悪口を言うか、それを否定しない。ダニーが彼らの部屋を訪れた際にも、友人たちは実はダニーを煙たがっているのに、良い顔して接している。このような、日常的によくある人間関係に向き合わないでごまかす態度を丁寧にみせている。ホルガにきてからの彼らも、同様である。ダニーとクリスチャンは一緒に過ごさなくなって、メイクイーンのダンス試合のシーンでは、もはや見知らぬ他人のようだ。クリスチャンは、ジョシュの研究をまねることを臆面なく宣言する。二人はなんとか相手を出し抜こうと、それぞれ村の儀式やルールに関する情報を集めていく。マークの不遜な態度を仲間は誰も本気で注意しないし、放置している。ペレは皆をなだめはするが、何か問題解決をしようと動くことはなく、彼らが村から出ることも許さない。このように、もともと孤立している主要キャラクターたちは、ホルガにおいて身体的にも分断されていく。

三つ目として、現代において主流と見なせるアメリカ社会から来た若者たちが、小さな共同体ホルガをサブカルチャーとして体験することを通じて、自分の孤立した立場を再体験することが示される。彼らは最初、ホルガの歴史的文脈は知らない。その風習を理解することもない。自分の所属する共同体のルールから出ることはなく、ホルガの習慣は異様なものだと捉える。主要キャラクターは、ホルガに対してそれぞれ異なる反応をする。ジョシュは興味深い研究対象として、マークは理解できないおもしろい風習として、クリスチャンは奇妙だが論文の良いネタとして、ダニーは恐怖の対象としてホルガを捉える。ジョシュとマーク、クリスチャンはあらかじめ生贄としてペレに選ばれた、孤立し自己中心的な人物である。ダニーはホルガの新しいメンバーとして試され、メイクイーンになることでテストに合格する。彼らはホルガのルールのもとで過ごすうち、度重なるショックやドラッグ、共同体メンバーの「普通」な態度により感覚が鈍磨し、通常の思考や行動ができなくなっていく。また正常性バイアスの働きにより、自分が殺されるとはつゆとも思わず、結果、仲間から離され殺されていくのである。このような分断は現代社会の孤立した個人の様を表しているといえる。

最後に、映像的側面としてさまざまな要素をブリコラージュしたヴィジュアリティが、ホルガの世界観を支えている。文化人類学でいうブリコラージュとは、身近なものを採取し再構成して道具を作りだすことを指す。カルチュラルスタディーズでは、このブリコラージュをサブカルチャーの重要な特徴だとしている。『ミッドサマー』は、例えばボーカロイドの楽曲のように、ジャンルや文化の文脈的な側面よりも、多様なスタイルを集めて再構成しているような映像である。まず、土着宗教のお祭りや儀式など、演劇的な要素を参照していることが挙げられる。そしてパラジャーノフ、『ウィッカーマン』、ヤコペッティなど、さまざまな映画を下敷きにしているといえる。また、実験映像やビデオアートのように、光のハレーションや別の映像イメージがレイヤーとして重なることで、心象風景と酩酊状態を観客に想起させるヴィジュアリティを生んでいる。自然の風景、建物や衣装、壁画や絵巻物などによる美学的側面では、美しくのどかで自立したホルガの村を独特のイメージとして形づくっている。このようにさまざまな要素が採取され、再構成されて本作の映像が生み出されている。これらの美学的な側面は、本作の観客が映画内世界へ没入するための装置として機能している。

4つの要素から『ミッドサマー』がどのように主要キャラクターの孤立を表しているかみてきた。本作は、ホルガというサブカルチャーの観点から、アメリカ人大学院生が属する現代社会の、分断され孤立した個人という問題点を逆照射しているといえる。アリ・アスターは過去の短編2作品でも、人間関係のディスコミュニケーションを描いてきた。『The Strange Thing About the Johnsons』(2011年)は、黒人一家の息子が名士の父親を性的虐待し続け、事故による父の死亡後は母と息子が殺しあう。『Munchausen』(2013年)は、大学進学で家を出る一人息子を、母親が過剰な愛情ゆえに毒殺してしまうのである。ネオリベラリズムの現代社会において、消費と再生産の輪が歪み機能しなくなっている。その中で、地縁や血縁のみならず、さまざまな局面で人々の連帯自体が分断されている。このような問題点を、アリ・アスターの映画はみせているといえる。

参考文献
・『ミッドサマー』公式パンフレット(2020年)
・いりこしうむ 、「向こうで映画見るけどあなたもどう?」元カルト信者の私が『ミッドサマー』に覚えた既視感、文春オンライン、2020/03/14
https://bunshun.jp/articles/-/36616
(最終確認:2020年3月23日)

『プリズン・サークル』ネタバレ感想

コロナ自粛で、できるだけ自宅待機しているため、腐りそうなミドリンゴです。3月頭に、名古屋は今池のシネマテークさんへ『プリズン・サークル』を鑑賞しに行きました!本作はなんと、私が自主上映会を始めてからずっとお世話になっている、アニメーション作家の若見ありささんが制作に参加しています!!

若見さんの作品はこれまで、シアターカフェでも上映させてもらいました。そして、毎日こつこつとアニメーション制作に向き合う若見さんの姿勢を尊敬しています。『プリズン・サークル』は、受刑者更生プログラムがテーマということで、どのような映像作品になっているのか楽しみにしていました。1回鑑賞したのみで、感想があまりうまく書けませんでしたが、まずはまとめたので載せます!!!


TC-声なき声を包摂する
『プリズン・サークル』坂上香 2019年


Therapeutic Community(以下、TC)という、依存症などの治療プログラムがある。TCは、イギリスではじまり60年代に欧米で広がった方法で、共同体の中でメンバー同士の対話を通じて問題と向き合い、患者の精神的な回復を目指すものである。ドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』は、このTCを日本で初めて犯罪者更生プログラムとして導入した、島根県の「島根あさひ社会復帰促進センター」を取材したドキュメンタリー映画である。

この映画は、犯罪をきっかけに共同体から排除された人たちを、TCを通じて社会包摂する試みを紹介している。作中では、受刑者同士やスタッフと、対話形式のワークショップを重ねていくことで、彼らが客観的に自分を見つめなおす機会をみせていく。仲間やスタッフとの信頼関係を築きながら、コミュニティの中で自己再生を行うプロセスを伝えていくのである。

映画『プリズン・サークル』では、TCの具体的な3つの内容として、一つ目はワークショップ形式の対話を通じて自身のトラウマ的な経験を自覚すること、二つ目は講師・当事者・聴講者という異なる立場を交代で担い他者の視点を体験すること、三つ目はロールプレイングにより犯罪経験自体を検証することをみせている。本作では、これらの学びを通じて、自己内省と再犯防止、受刑者の社会復帰を目指す様子を、受刑者たちの暮らしを通じて静かに伝えている。

まず一つ目は、受刑者が自身の体験を告白し、他の受刑者が質問や感想、アドバイスなどを自由に話すワークショップがある。それにより、皆で協力しながら受刑者のトラウマを探っていく。隠された傷を明らかにし自覚的になることで、当事者が自分の体験を相対化し距離を保つことができるようになっていく。映画では、ワークショップの過程が、受刑者の紹介を挟みつつ映されていく。そこには、児童期の暴力的な被害体験の告白の途中で言葉を失う受刑者のシーンがあった。自分で受け止めきれないトラウマ体験は、言葉にならない声なき声として、当事者の歪んだ表情や言葉が詰まる様子に現れる。ホロコーストをテーマにしたドキュメンタリー映画『ショア』で、被害者であるユダヤ人男性が同様に体験告白中にそれ以上言葉を紡ぎだせなくなったロングテイクのショットを思い出した。

二つ目の、参加受刑者たちが講師・当事者・聴講者の異なる立ち位置から課題について考えることは、自己の問題を相対化し客観的に見つめる機会を生む。映画では、ワークショップの進行役も、受刑者が担当し準備から行う一連のシーンがあった。全体の流れをスタッフと打ち合わせして決め、司会進行しつつホワイトボードにキーワードやアドバイスを書き込んでいく。客観的な立ち位置から当事者の体験を引き出し、他の仲間からの意見も加えながら、それらを整理してまとめていく。これらを通じて、自分の問題と違う点や同じ点を比較したり、自分の問題に対して距離を置き冷静に向き合ったりすることへも繋がるといえる。

三つ目の、犯罪時の出来事をロールプレイングで再体験することは、複数の視点から服役者が自分の事件を考える契機となる。映画では、数脚の椅子と当事者、スタッフと他の数名の受刑者という少人数制で行うシーンがあった。スタッフの指示に従って、自分の行った犯罪について自己の対立した感情や考えを洗い出す。受刑者は2脚の椅子をそれぞれ、自分の相反する視点のいずれか一方に設定し、異なる立場の椅子を座りかえつつ、その観点からの気持ちを話していく。また、仲間の受刑者数名がそれぞれ親や被害者など、事件関係者の役割を演じる。他の受刑者の事件について、関係者の立場になりきって感情や考えを想像しながら語るのである。このように、ロールプレイングによる犯罪の振り返りを行うことで、自分の中にある矛盾した考えや感情、関係者・被害者の視点を想像し再体験することができる。

筆者は、このロールプレイングのシーンで、ドキュメンタリー映画『アクトオブキリング』を思い出した。『アクトオブキリング』では作中を通じて、70年代のインドネシアで、共産主義者を殺害し国民的英雄となった地元のヤクザたちが、監督の指示で当時の経験をロールプレイングする作業がキーワードとなっているからである。この体験をしたヤクザたちは、映画の後半で、被害者の役を経てそれぞれの感じたことを言動で表すのである。そこには開き直りや無関心もあった一方で、自己の殺人経験への嫌悪や罪悪感など内省に繋がるそぶりもみられた。このように、ロールプレイングによる事件の再体験という点において、両作品は共通しているといえる。

本作では、受刑者のその後として服役後の様子を紹介するシーンがあった。受刑者たちは刑務所を出ると、社会生活に戻っていく。その中で様々な悩みや不安が生じる受刑者たちにとって、社会復帰後も信頼できる相手としてTCを受けた仲間やそのスタッフがいるのである。年一回ほど開かれる、TCを受けた元受刑者たちの交流会は、安心して気持ちを話せる居場所として機能している。この繋がりは、彼らの帰属意識を保つ機能を持っている。TC参加者は他の刑務所が6割の再犯率であることに比べて、その約半分以下と再犯率が低いそうだ。一方で、全国の受刑者約4万人のうち、このプログラムへ参加できる受刑者は約40名のみである。国内でのこの試みはまだ始まったばかりで、今後の普及が待たれるものであることが『プリズン・サークル』を通じてわかるのである。

本作の映像の特徴として、登場人物名などのテロップが多く、回想シーンは全て砂絵アニメーションで作られている点が挙げられる。刑務所内での受刑者は、外部の者との接触や顔を映すことが禁止されている。そのため観客は、名前のテロップや声、体形からどの人物なのかを想像して鑑賞することになる。また、過去の回想シーンには、しばしば受刑者のナレーションが被される。テロップや声により、誰のことが語られているのかわかるのである。

トラウマ的なシーンを砂絵アニメーションで再現することの効能は、回想という実写で存在しない映像を、観客がアニメーションを通じてさらに想像することができる点が挙げられる。実写で子供のころ受けた暴力などを再現する場合、児童が暴力的シーンを被害者として演じる際の心のケアの問題や、暴力行為自体に観客の注目が集まってしまいがちだといえる。一方で、本作で使用されている砂絵アニメーションの、柔らかい線や素材感から受ける荒い質感、セピアやグレーの色味の淡いグラデーションなどのイメージは、つらい過去の想起にともなう困難さや、想起される記憶イメージのあいまいさを触感的に観客へ伝える。

また映画のラストでは、受刑者が未来への希望を語るナレーションに合わせて、砂絵アニメーションによる映像が現れる。受刑者たちがトラウマを乗り越えて、社会の中で自分の位置を見つけていく再生のイメージが浮かぶ。砂絵の質感、色味、絵自体の素朴さなどが、触覚的に観客の情動へ訴える。これらの映像から、受刑者たちの心情について観客が想像する契機を生む。

本論では、映画の中で伝えられているTCの具体的な内容や意義、アニメーションの効能についてみてきた。TCは、社会から周縁化された服役者が社会包摂される機会を与える。筆者は、この作品を鑑賞するうちに、あらゆる人にとって、TCのような方法は意義があると感じた。なぜならば、自身の体験の振り返りを通じて、自己を客観的に見つめなおし過去の傷を相対化することは、自己の在り方と他者への向き合い方を再考させる可能性があるからである。そのような作業は、日々を生活する上で多くの人にとっても重要ではないだろうか。


●参考ウェブサイト

映画『プリズン・サークル』公式ホームページ
https://prison-circle.com/
(最終確認:2020年3月19日)  

映画『プリズン・サークル』 坂上香監督インタビュー、Yahoo! JAPAN ニュース、2020年2月14日
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200214-00010000-tsukuru-soci  
(最終確認:2020年3月19日)  

『性の劇薬』のネタバレ感想

昨年の春、『BL進化論』の溝口彰子先生のサロントークに参加したとき、この『性の劇薬』を知りました。すでに映画化も決定しており、この作品は何だろう?と、帰宅後さっそくマンガを読みました。そして、今年になって劇場公開が始まり、つい先日、友人と観賞した次第です~。

映画館はほぼ満席で、女性二人組が多かったです。昔、『秒速5センチメートル』や『時をかける少女』(アニメ版)を観にいったとき、複数のオタク男子2人組が仲良さそうに来場していた様を思い出し、今はその逆だと思いました。

運命の相手というファンタジー
BL映画『性の劇薬』城定秀夫 2020年


ここ数年、『おっさんずラブ』や『きのう何食べた』など、BLをテーマとしたドラマが広く人気を博している。これらは、女性や同性愛者のみならず、ストレート男性の視聴も促した点で象徴的な作品といえる。折しも今年、2020年は『囀る鳥ははばたかない』『ギヴン』『世界一初恋 プロポーズ編』『海辺のエトランゼ』『窮鼠はチーズの夢を見る』など、BL原作の映像化が豊作の年である。

そのような機運のなか、『性の劇薬』は王道の監禁ものBLとしてこの春公開された。監督は成人映画で経験を積み、ストーリーテーリングに定評のある城定秀夫だ。女性向け、しかも腐女子がターゲットとなるBLマンガ原作を、どのようにR18指定で仕上げたのかは、商業BL作品ファンの間でも話題となっている。

この作品は、ただ一人の運命の相手と結ばれたいという恋愛ファンタジーを描いている。現実では達成が難しい運命の相手という理想を物語内で叶えることは、現実の異性愛規範に疲れたBLファンの心を癒すのである。本作は、R18ならではの過激な表現として、誘拐と監禁、SM的性暴力という点に注目が行きやすい。そのような刺激的な表現は、「運命の相手」という純愛テーマと対比を成し、アトラクション的に引き立てる作用がある。俳優の外見的魅力やさまざまな設定もまた、テーマを美しく補強し作品世界に観客を没入させる重要な要素である。当然これらの要素は原作由来であるが、実写で違和感なく描くには、様々な配慮が必要だろう。

『性の劇薬』には、読者の妄想を補完するためのBLマンガ的表現が丁寧に織り込まれている。キャラクターの言動や世界設定、物語のラインなど、BL作品の読者ならば馴染みある独特の表現がある。これらは、興味のない層にとっては、ときに違和感を生むものである。映画としての質やある程度の見やすさを保ちながら、この条件を満たすことは、それらの意味と効能をよく理解していなければ難しいだろう。また、BL作品を実写化する際によくある生ぬるい性表現にならず、しかしゲイポルノほど生々しくならないための配慮は重要であろう。BL形式と映画としての自然さ、女性向けとして適切だが過激な性表現という相反する要素の達成は、BLマンガ実写化の完成度を左右するのである。

それでは最初に、「運命の相手」という純愛的主題とそれを補完するBL的要素について、キャラクターとストーリーの側面から具体的にみていこう。まずは、キャラクターに注目する。主要キャラとしては、細すぎない受けと細マッチョな攻めにふさわしい俳優が選ばれている。二人の身長はわずかの差であり、受けと攻めの体格があまり異ならない点は、昨今の流行りといえる。顔もイケメン過ぎず、整っているがどこにでもいるような風貌の男優たちである。  

これは、現在のBLマンガの作品傾向を考えると、相応の役者が選ばれているといえる。2010年以降の商業BLマンガは、それ以前の女性的な受けと男性的な攻めに加えて、対等な受けと攻めであったり、男性的な受けと女性的な攻めだったり、性役割が固定的でないカップルも増加し、性役割が一般的な異性愛規範とは異なる設定を描いてきた経緯がある。また、年を取っているか美人やイケメンでない、もしくは太っているなど、ルッキズムから外れた見た目のキャラクターが恋愛の中心に据えられる作品も増えている。

主要キャラクターのBL的な性描写としては、攻めが受けに、こっち(アナルセックス)の才能があったんじゃないか」と言う代表的なセリフがある。この「才能」もしくは「素質」という言葉は、90年代以降のBLマンガにしばしば使用される定型句だ。このセリフは、ノンケ男性である受けが攻めの性技ですぐに快感を覚えるというBLのお約束的な展開でしばしば使われてきた。

また、昨今のBLには定番といえる、受けが乳首を刺激され快感を覚えるシーンが本作ではしっかり演出されている。90年代以降のBLマンガで、徐々に描かれるようになっていった男性の乳首は、多くの一般マンガでは現在も消去された存在である。BLマンガでは、乳首が描かれると共に、その性的快感も重要な表現として一般化している。他には、現実では不可能であろう、アナルセックス未経験者のアナルをほとんど馴らさずに挿入するシーン、ラストの騎乗位でのご褒美セックスなども、BL的な表現パターンであるといえる。

次に、ストーリーが純愛テーマをどのように自然化しているのかについてみていこう。まず大筋として、出会って対立し、困難を経た末に和解がありハッピーエンドという流れがある。少女マンガが主要なベースの一つとなっているBLマンガは、基本的にハッピーエンドが主流であり、本作も典型的な流れに沿っているといえる。具体的な設定としては、監禁と調教という背徳的な要素がある。これには、肉体的快楽を通じて、生きる歓びを受けに実感させるという攻めの理由がある。また、家族を失った受けと恋人(原作では兄と両親)を失った攻めという組み合わせから、加害者である攻めが、実は恋人を失った被害者であり、両者とも愛する人を失い、人生を謳歌できなくなっている状態であることを示している。

ストーリーを補強し、キャラクター同士の因果関係を作る設定としては、攻めの自殺した元彼と瓜二つの受け(映画版のみ)、攻めが偶然にも受けを見かける3度の遭遇(受けの親の死・その両親の墓参り・受けの自殺直前)がある。このような因果関係はご都合主義である一方で、二人が「運命の相手」であることを観客に印象付ける。

また、原作にはない舞台設定として、前半の謎めいた病院の地下ボイラー室と、ラストの海辺の無人のコテージが挙げられる。日常におけるノンケ男性が、同性愛に目覚めてもおかしくないという演出を、このような非日常的な空間が支えている。

それでは本作は映画として、どのような特徴が考えられるだろうか。ここでは、映画的モチーフと女性に配慮したカメラワークについてみていく。まず初めに、映画的な反復モチーフが物語の理解を助ける。小道具としては、溺死した虫と薬の小瓶がある。虫のショットは、生きる意味を失い自失状態である受けと攻めを比喩的に表している。この映像は、映画の冒頭と中盤に挿入される。映画前半は受けのエピソードなので、冒頭の虫は受けを表わしている。中盤以降は攻めのエピソードが語られるため、攻めを示しているといえる。溺死した虫の水桶のショットは、ラストで二人が海に入る救済的なシーンに繋がっている。

薬の小瓶は、生と死が象徴的に付されている。小瓶は中盤頃に、攻めが受けに与える致死のプラセーボが入った容器として、まず登場する。受けはけっきょく飲まずに瓶を割る。次に、後半で攻めの元恋人が自殺する際に使用した劇薬が、同じ見た目の瓶に入って登場する。こちらは、元恋人の自死のシーンと、ラストの攻めが入水自殺しようとするシーンに現れる。受けが攻めの自殺を押しとどめたあと、空になった瓶は波打ち際に転がっている。捨てられた瓶は、二人が希死念慮を放棄したことを表わす。

また、ハンプティダンプティの曲とテーマ曲もモチーフとして機能している。攻めが時おり口笛で吹くマザーグースのハンプティダンプティは、攻めの元恋人が口ずさんでいたメロディだと物語の後半でわかる。前半では受けの恐怖を象徴する一方で、後半では攻めの哀しみを象徴するというように、意味が変化している。そして、中盤以降に数回BGMとして流れるテーマ曲は、最終的にエンドロールでも流れており、中盤以降で二人の気持ちが変化し和解していく微妙な心の動きを表わしているといえる。

次に、BLをR18で実写化する際のBLファン腐女子への配慮として、性器のモザイクを減らす努力がある。通常、BLマンガの男性器は、りんかく線を隠すための黒塗りやホタル、白抜きなどによる消去が成されている。本作では、モザイクなどで後から消すのではなく、ほとんど映らないようなカメラワークを採用している。その代り、性行為中の二人の全身や、下からあおるショットなどで、性表現の激しさを演出しつつも、性器が映らないぎりぎりのフレームを切り取っている。そのせいか、モザイクの滑稽さで興ざめしないと共に、上品な仕上がりになっているといえる。

以上のように、本論では『性の劇薬』における、純愛テーマとBL的表現をみてきた。本作は、非現実的な空間や過激な設定で刺激を与えつつ、理想的な純愛ファンタジーとして観客の心を浄化する。それらをうまく働かせるのは、BLジャンル固有の表現と実写化に伴う生々しさの間の調整である。その結果、この作品は、ただ一人の運命の相手と結ばれたいという恋愛ファンタジーを観客に真摯に伝えるのである。

『エスター』のネタバレ感想

前日譚を製作中と話題の『エスター』を、観せてもらいました。コロナ自粛中なので、文章の練習として感想を書きました~。。

この社会では、永遠に満たされない少女 
『エスター』ジャウマ・コレット=セラ(123分/2009年) サイコスリラー映画


主人公エスターは、身体が成長しないせいで心も歪んでしまった精神病者である。脳下垂体が機能しない病気のせいで、エスターは成長できない。(1) 彼女の体は、9歳で時が止まっている。その子どものままの体に反して、毎日の経験で成長していく心のバランスは、大きく崩れている。大人になることができずに歪んだ心は、大人とも子どもともいえない。そのストレスに耐えられなくなったとき、エスターはヒステリー的な悲鳴を上げ身もだえする。あるいは、自分を否定する者たちを容赦なく害するのである。

エスターは、心と体の不一致により、社会的な自己実現が達成できない人の象徴である。自己実現に悩むキャラクターを心身の不和で表現する方法は、よくある手法である。大人になっていく身体の成長に伴わない思春期的な精神のテーマは、現代ではモラトリアムとして一般化し、さまざまなジャンルで作品化されてきた。

本作はエスターという特異点から、社会における個人の在り方の問題を可視化している。サイコスリラーのジャンルで、子どもの外見に大人の内面の主人公というファンタジー設定を用いることにより、エスターの社会的な不和は際立ったものになっている。『ブリキの太鼓』における、自分の身体的成長をコントロールできる主人公オスカルのように、特殊性を持つ主人公から、社会の中でどのように個人が自己実現できるのかという課題やその社会の問題点を照射している。

フランソワ・リオタールが書いたように共同想像としての大きな物語が崩れ、ライフスタイルとして個別化した物語を一人ひとりが生きる現代は、理想的モデルとしての大人像は失われている。なるべき姿のイメージを失った人々は、理想の自己像を探して悩み続ける。悩みながら自分なりに変化し、自己実現しようともがくのである。

今日の社会では、共通理解としての大人像が壊れているにもかかわらず、伝統的な異性愛規範は中途半端に存続している問題がある。そこには、男女の恋愛や制度的結婚への無批判な肯定がある。そして女性に対して求められる、規範的な美しい外見や出産・育児への、社会や家族からの重圧が隠されている。どのようになることが、社会的に認められると共に自己充足できる姿に繋がるのかということが、結論のない課題として浮上し続けている。

この社会でエスターは、誰ともパートナーになることができない。自分と精神年齢が対等なはずの中年男性とは外見が釣り合わない。また、子どもに見える外見のせいで、社会的な成長経験を順当に得られなかったため、知識はあっても精神的に成熟しているとはいえない。さらに、外見が対等な子どもとは、経験値が異なるため互いに恋愛対象とはならず相互理解も生まれない。子どもにとっても、自分とエスターは価値観が離れているので魅力的に映らないのである。

エスターの時代がかったお嬢様のような服装は、大人でも子どもでもない自己イメージを表わし、そのせいで周囲との不和を生む。服装へのこだわりには、彼女らしさが満ちている。一方で、その服装は他人から理解されない。養子先のコールマン家で、彼女が小学校に初登校する日の朝、そのかしこまったドレス姿は義母と子どもたちの失笑を買う。その姿は学内でも物議をかもし、他の子どもたちとの衝突を生む。自分らしさを表明した結果、彼女は誰からも受け入れてもらえないのである。物語の後半でエスターは、自分なりのセクシーな装いで義父のジョンを誘惑する。ケイトのドレスを加工して身につけ、化粧をした大人びた姿で現れるが、ジョンからは拒否される。自分らしい服装ではなく、ステレオタイプな成人女性のイメージとしてのセクシーなドレスと化粧という装いをしてなお、彼女は認めてもらえない。

『エスター』の主人公は決して、この社会の中で自分らしく生きることはできない。子どもの姿で中年の心の彼女を、世間は受け入れない。彼女の自分らしい装いは、共同体からは拒否されるのである。それに対する報復としてエスターが行う殺人や放火は、社会的規範を大きく外れている。エスターは、極端なキャラクターとして誇張された現代人の自己矛盾を表わしている。社会への迎合と自分らしさの表明は、安易に親和することはない。本作は、社会の中でもがく個人の満たされなさを、比喩的に表わしているといえる。

(1)脳下垂体の機能不全で成長できない病気は、架空設定らしいですよ

改装工事始まりました!&郵便物転送終了についてのおしらせ

ご無沙汰しております。
新シアターカフェの様子を久々にご紹介!
ようやく改装工事に入り、中が解体され、スケルトン?になってます。
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何にもな~い。

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そして2階もあるから屋根が高~い!
これから先、どんなふうになっていくか、本当にワクワクします。絶対きれいになるし♪。またちょくちょく工事が進んでアップできるようなら画像も上げていきますね。ちなみにオープンは春と言ってましたが、少し遅れそうです。工事完了しないとオープンできないもんね。あまり無理して間に合わないと困るので、慎重にオープン日を決めていきたいと思っております。もうちょっと待っててくださいね。

ちなみに今まで大須の住所から郵便物の転送をかけていましたが、本日2/25付けで転送も終わりになります。新しい場所はまだこの状態なので、いましばらく郵便物、DM等はお控えくださいませ。よろしくお願いします。

2019年映画マイベスト10

あけましておめでとうございます。
2019年は2月のシアターカフェ一時閉店以降、自主映画もたくさん見れるかなと思ってたら、生活のための派遣の仕事などで休みがままならず、思ったよりは見れてないです。
映画祭などを除き、映画館で見た作品は115本と減ってます。
自分で選んだ作品を見ると、今年は家族ものに心奪われてましたね。今日の気分で選んだので、ほかにも入れたい作品あったけど。
ああ、本当はここだけじゃなく、映コンやってみんなでお話したいなあ。まずは5月下旬のシアターカフェ移転リニューアルまで待っててね。心機一転の年になります。今年もどうぞよろしくお願いします!!

2019年マイベスト10(順位なし)
ジュリアン
存在のない子供たち
感染家族
メランコリック
ボーダー 二つの世界
シンプル・フェイバー
岬の兄妹
愛がなんだ
ジョーカー
ROMA

次点 
よこがお
グリーンブック

2020年2/15(土)「アニメーション研究を牽引してきた功労者 渡辺泰 〜その研究活動と功績〜」展を振り返って

2018年夏、長年に渡り国内でアニメーション研究を牽引してきた渡辺泰を顕彰する展覧会が京都で開催された。会場では渡辺手作りの戦後アニメ関連記事スクラップ帳、戦後発足したディズニー・ファンクラブの会誌「ディズニー・ジャーナル」などが展示され、戦中戦後の国内のアニメーション受容を渡辺の膨大なコレクションから垣間見ることが出来る内容であった。この度名古屋で、本展覧会を振り返り、氏の貴重なコレクションの一端を検証し紹介する。
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日時 2020年2月15日(土)開場/14:30開演15:00-終了17:00予定
会場 名古屋市中村区則武1-13-9 チサンマンション第3名古屋ビル 1106号室
名古屋駅JRコンコース太閤口より徒歩4分

ご予約はこちら!
協力 渡辺泰、安井喜雄(神戸映画資料館館長)
主催 日本映像学会ショートフィルム研究会
参加無料
日本映像学会研究活動助成金対象研究


| 戦後、国内最初期のアニメーション愛好家たちの活動について 
森下豊美

渡辺泰展で展示した資料から、戦後発足したディズニー・ファンクラブ会員向け会誌「ディズニー・ジャーナル」、およびその会員たちによる同人誌「sleepy symphony」を中心に、戦後最初期の国内アニメーション愛好家たちの活動の一端を検証する。
| プロフィール 
2012年東京藝術大学大学院アニメーション専攻修了。2018年京都精華大学大学院単位取得満期退学。2017年「にっぽんアニメーションことはじめ~ 「動く漫画」のパイオニアたち~展」、2018年「渡辺泰展」企画など、アニメーションの制作、研究、展覧会企画など行う。関西大学、甲南大学ほか非常勤講師。

| 日本のアニメーションの戦時下・戦後 
佐野明子

今回上映する『マー坊の落下傘部隊』が制作された戦時下の背景をまず概観する。終戦後、日本の人々に歓迎された『白雪姫』ほかディズニー長編が、いかに日本のアニメーションや映像文化に影響を与えたか、渡辺泰コレクション資料を手がかりに考察する。
| プロフィール 
2007年 大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。2009年 桃山学院大学国際教養学部に着任(〜現在)2015年 国際日本文化研究センター共同研究員(〜現在)単著論文「『桃太郎 海の神兵』論:国策アニメーションの映像実験」『アニメーション研究』第20巻第1号、2019年。共著書『動員のメディアミックス:<創作する大衆>の戦時下・戦後』大塚英志編、思文閣出版、2017年など。

上映作品 
『マー坊の落下傘部隊』(1943年、12分)製作 佐藤吟次郎  演出 千葉洋路
マー坊は科学研究所で「新式の落下傘兵器」(爆弾落下傘、超強電波放射落下傘、上昇兼用落下傘、装甲機銃座急構築落下傘)を開発する。それらを日本軍が使って敵軍を倒す。