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『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』ネタバレ感想

ミドリンゴです~
先日、『劇場版 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』をみてきました~。テレビ放送から外伝とみてきたので、完結編も映画館で鑑賞できて良かったです~~!全部1回しかみてないので雑ですが、ネタバレ感想を書きました~


モノが人になるとき――メディアを通じた女性の「声」
『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』


ピグマリオンの物語は、男性である主人公ピグマリオンが神の力を借りて、理想的女性の人形であるガラティアを人間に変える愛の神話である。ギリシア神話として形式化されたこの物語は、オヴィディウスやバーナード・ショー、映画『マイ・フェア・レディ』、漫画『ピグマリオ』など、歴史的に多様なメディアへとアダプテーションされてきた。この物語はこれまで、男性作者によって、恋愛や性愛対象としての女性を描くための魅力的な物語の枠組みとして流用されてきたのである。その中で描かれる女性像は、清純な乙女から淫婦まで実に様々であった。このような枠組みのもと、『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』は、重要なモチーフとなる義手、タイプライター、手紙という3つのメディアを通じて発話する「声」として女性の自立性や連帯を示唆している。

本作は、大きな構造として、ピグマリオンの物語に沿っているといえる。主人公の少女ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、喜怒哀楽を表す術も知らず、戦うための武器として育てられた。彼女は、捕虜となって敵兵であるギルベルト・ブーゲンビリア少佐に出会うことで初めて、人に愛され大切にされることを経験する。ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンという彼女の名前は、ギルベルト少佐に与えられたものである。さらに少佐は、ヴァイオレットに読み書きや世界の美しさ、安らぎを教える。このように主人公は、男性の手により名付けられ、人間的な言語や感情を与えられ、社会化されるのである。二人は、様々な困難を乗り越えて最終的に結ばれる。本作は、男性にとっての理想的パートナーを自らの手で育て上げるという、ピグマリオンの物語的枠組みに概ね沿っているといえる。

一方で、この物語の語り手は、ピグマリオンではなくガラティアである。それは、物語を綴る原作者と脚本家がほぼ女性であり、女性主人公を軸とした物語やキャラクター同士の関係性を描くことで、女性の生き方を示す作品となっていることからも明らかである。少佐と共に戦場で戦うヴァイオレットは、最後の戦いで自分の両腕とギルベルト少佐を失う。戦後の彼女は、少佐の士官学校時代の友人だった、クラウディア・ホッジンズ元・陸軍中佐が営む、ライデンシャフトリヒのC.H郵便社で、手紙の代筆業者、通称・自動手記人形=ドールとして働くことになる。ヴァイオレットは、様々な人々の代筆を通じて、人間同士の関係性や相手を想う気持ちを疑似体験し、他者への想像力や共感を自ら体得していくのである。本シリーズにおいて、この過程は、母娘や女性の友人同士など、女性同士の反発と連帯を通して、数多く描かれている。ヴァイオレットは、同僚や顧客、偶然知り合った人などの手を借りながら、少佐が戦場で最後に発した「愛している」という言葉を、手紙代筆業を通じて苦しみながらも能動的に理解していくのである。

さらに、この物語で特徴的なモチーフの一つである義手は、ヴァイオレットをモノからドールに変化させた。生身の身体と機械の混成である義手は、補てつ物として彼女の身体能力を補う。かつて殺人のために使われた生身の両腕に替わり、機械の義手は顧客の口語を叙述する作業に使われる。最初、喜怒哀楽の感情が希薄な武器としてモノ化されたヴァイオレットは、次に、ドールとして失われた腕の代わりに義手を手に入れ、サイボーグ的な身体になり言語を操ることで徐々に社会化される。ライデンシャフトリヒのC.H郵便社という共同体をベースとして、手紙代筆という思考と感情を通じた他者との相互作用により叙述を行う仕事のもと、知的、感情的な側面を自ら育んでいくのである。

二つ目の重要なモチーフとして、彼女の仕事道具であるタイプライターは、女性の「声」を言語化し、肉体に依らない形で発話させる機能を持っている。本作の世界観では、タイプライターが機械であることに由来して、タイピストをまるでオートマタのようにドールと呼ぶ。ドールは、現実の歴史的なタイピストと同様、女性の職業である。つまり、仕事の中核となる管理職は男性が行い、記録・記述などの副次的な仕事は女性が行うという、男性中心主義的な会社の構造を踏襲しているといえる。このような構造のもと、女性は男性社員の視覚的快楽を誘う美しいものとして対象化されてきた。現実同様の慣習は一見、女性身体のモノ化にみえる。しかし、前述したようにこの物語は女性が語る女性の物語であり、語り手はガラティアである。タイプライターという装置を使うことで、口語で発話される顧客の思考や感情は、ドールである女性の肉体―耳・脳・手から機械の声―活字へと創意工夫を経て変換される。しかも、ヴァイオレットの手は機械である。

最後に、手紙は物語世界を貫き、過去と現在を繋ぐ重要なモチーフとなっている。ヴァイオレットが仕事で手掛ける手紙は、送り手が伝えたいことを紙に書いて郵送するため、受け手に届く時間がかかる遅いメディアといえる。完結編の劇場版では、そのような遅いメディアとして手紙が、長い時間と異なる場所を越えて、思いもよらない相手に届くことができることを示す。手紙は持ち主の手を離れて風に乗り、人々の間をすり抜け、空高く舞って、街や郊外を俯瞰する。そこには、世代を越えて届く女性同士の紐帯ともいえる思いが託されている。母親と対面で話しても互いに理解できず衝突するデイジー・マグノリアは、曾祖母が娘である祖母へ宛てた50年分の手紙と、それを代筆したヴァイオレットの切り抜き記事を読むことで、和解できない両親のもとを離れて、ヴァイオレットの足跡を辿る小旅行へと一人出かける。曾祖母の手紙は、デイジーがヴァイオレットの記事を読んだ後に、テラスの窓から空高く舞い上がるのである。そして手紙が遠くへ飛んでいくことで、切断されていた過去と現在を繋ぐのである。最後にデイジーは、エカルテ島の郵便局から両親に向けて手紙を送る。その手紙には、ヴァイオレットがモチーフとなった切手が貼られている。手紙を受け取った母親は、娘の気持ちを知り涙する。曾祖母と祖母の手紙を通じた紐帯が、母と娘の手紙を通じた関係修復へと重なっていくのである。

女性の「声」が、義手・タイプライター・手紙という3つのメディアを通じて発話されることは、モノ化されたヴァイオレットが、個人として主張することで初めて、少佐と対等の自立した人間になることを示す。劇場版のクライマックスで、少佐に直接会うことを拒まれたヴァイオレットは、自分の思いを手紙に託してエカルテ島を離れる。それを間接的に受け取り読んだギルベルトは、初めて心を動かされ、ヴァイオレットと向き合うため彼女を追いかけるのである。女性の「声」は、娯楽映画において伝統的にその肉体に関連付けられ、被写体として見られる対象に結び付けられていた。そのような慣例に対して、理論家のカジャ・シルヴァーマンは、実験映画における身体と声に因果関係のない、どこから聞こえてくる誰の声なのかわからないような編集が為された女性の発話を、女性の自立した「声」として評価していた。シルヴァーマンが肯定する肉体に依らない女性の「声」にも似て、ヴァイオレットの「声」は手紙を通じて発せられギルベルト少佐に届く。少佐と心から向き合うことで初めて、ヴァイオレットは、自分の想い「愛している」を少佐へ伝え、自らの義手で彼を抱きしめることができる。

『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』は、女性の自立性や連帯を、義手、タイプライター、手紙という3つのメディアを通じて、肉体と技術の混成から発話した「声」として描いている。主人公のヴァイオレットは、武器からドールへと生成変化し、最終的には生身と機械の混成体のまま、知性と感情を得て、パートナーと対等な存在になるのである。


参考
1、『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』2018年1月放送/12話
  原作:暁佳奈 監督:石立太一 脚本:吉田玲子
2、『劇場版 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン 外伝 ―永遠と自動手記人形—』2019年9月公開/2時間
  原作:暁佳奈 監督:藤田春香 監修:石立太一 シリーズ構成:吉田玲子
  脚本:鈴木貴昭、浦畑達彦
3、『劇場版 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』2020年秋公開/2時間20分
  原作:暁佳奈 監督:石立太一 脚本:吉田玲子
4、新谷好, 2002「ピグマリオン物語の変容について」『追手門学院大学文学部紀要』38号,
  追手門学院大学, pp45-55. (最終確認:2020年10月29日)
  https://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/301/301021206.pdf
5、Chaudhuri, Shoini (2006) “The Female Voice.” In Shohini Chaudhuri.
  Feminist Film Theorists: Laura Mulvey, Kaja Silverman, Teresa de Laureis, Barbara Creed.
  London and New York: Routledge, pp1-12.