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ウィリアム・ケントリッジ演劇作品とズートピアを観ました

おつかれさまです、ミドリンゴです~~

現代美術界隈で、国際的に有名なアニメーションや演劇作品などの作家、ウィリアム・ケントリッジ氏が、舞台演出とアニメーション制作を行った、「ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ」の再演を、友人に教えてもらって観てきました~。「ふじのくに せかい演劇祭2016」の一演目として、GW中に、静岡芸術劇場で上演されたものです。(5/4に観ました~)

当時、人形劇団handspring puppet companyに所属していたケントリッジは、アニメーションや俳優、音楽、人形劇を混成したマルチメディアな上演を提案したそうです。サミュエル・ベケットの不条理演劇「ゴドーを待ちながら」の上演許可が下りなかったので「Waiting Room」というプロジェクトを進行し、片や「ユビュ王」をベースにしたアニメーション作品を進行中で、結局、両者を結合したのが本作。「ユビュ王」はフランスのアルフレッド・ジャリが、人形劇のアイデアをベースに書いた戯曲らしいです。(英語版wiki調べ。。)

ケントリッジ氏は、南アフリカのヨハネスブルク出身。南アフリカの歴史をさらっと振り返ると、(間違いがあったらすみません~~)

オランダ人入植→イギリスの支配→
1910年 独立
1913年 土地法 徐々にアパルトヘイト開始
徐々に反アパルトヘイト運動が激化、内戦状態へ
1991年 アパルトヘイト撤廃
1994年 南アフリカ初の国民選挙により、ネルソン・マンデラ大統領が誕生
1996年 真実和解委員会設立
1997年 「ユビュ王、アパルトヘイトの証言台に立つ」初演(ヨハネスブルク)

真実和解委員会は、アパルトヘイトの被害者と加害者それぞれの体験談を集め記録を作ったそうです。告白と補償、恩赦により、過去と向き合い和解する目的で行われました。入れかわり立ち代わり一人ずつ証言台に上がり、自分の経験を語るという一連の作業を、ケントリッジ氏は市民演劇のようにも捉えたそうです。

白人男性の演じるユビュ王(夫)と、黒人女性の演じるユビュかあちゃん(妻)。夜な夜な浮気して遊び歩いていると妻から思われていた夫は、実は、秘密警察として拷問や殺害を行っていました。様々な被害者の告白のあと、最後はユビュ王自ら、証言台に立ち告解をします。反アパルトヘイト運動は、男性よりさらに権利のない女性たちからも激しく起こっていったそうなので、白人男性-黒人女性というのはわかりやすい対比だと思いました。

深刻なテーマながら、アニメーションや人形劇を使って、俳優さんも大げさな演技をしていたので、ユーモアのあるコミカルな作品になっていました。

鑑賞後、ネットでいろいろ調べてました。

●ポスト・アパルトヘイト
単に、居住区や権利を分けたということではない。地政学的な問題、経済的な基盤が複雑に入り混じった国内状況など、課題が多い
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/7-5.6/RitsIILCS_7.5-6pp.247-264Sato.pdf

●文化の違いで居住区を分ければうまく共存できるのか?主流が変わらなければ、隔離か同化、いずれにしても差別になり、問題解決しない
http://synodos.jp/society/13008

あと、「ズートピア」を別の日に観ました。お話しの要素としては、下記のような感じでした~~
・望む自分になるため、田舎から都会にやってきた主人公
・弱者側の反撃による陰謀で起こる事件
・異種同士の協力や和解
・幼少期に受けた、種の違いからくる差別的なトラウマ
・他者から押し付けられるステレオタイプを払拭し、トラウマの克服をし、望む自分になる
・主人公のがんばりによる問題解決
・比較的、安易なハッピーエンド

子供も観られるよう、わかりやすい作りになっています。そのせいか吹き替え版しかなくて残念でした。
印象に残ったデザインとしては、体のサイズで居住区が分けてあったことです。また、もともとの生息地域に合わせた環境が用意されていて、熱帯も極寒な地方も、さほど遠くない範囲にあるという不思議な都市になっています。(ディズニーランドみたい??)現実の、人、野生の虫やネズミ、鳥などを考えると、人工的な環境の中では、同じ空間内で、全員が複雑に入り混じりつつ住み分けているなぁと思いました。
見た目としては、ビジュアルもきれいで、ディズニーらしい顔のキャラクターに、アクションもそれなりに入っていて、お話とビジュアルを楽しめる作品でした。

文化や人種で居住区を分けるって聞いたとき、どうしても被差別部落を思い出してしまいました…!以前、名古屋は部落差別が激しい土地と、他県の方から指摘され、初めて強く認識しました。名古屋市の被差別部落箇所は、一か所に固まっておらず、あらゆる地域に点在している(いた)そうです。

居住区を文化で分ける成功例として、横浜の中華街がネットで挙げられていましたが、実際は、日本人と中国人の住民が半々で、中国人が飲食店、日本人が食材運搬業と住分けることで、共生しているそうです。中華街の始まりは外国人居留地として、日本国から制限された居住地区だったのが、現在は日中共同で作られた商売の街であり、文化的な違いのために住み分けて、衝突を避けている例とは、分けて考えた方が良いかなぁ~と思いました。

文化で住み分けるのはダメなんでしょうか、いいんでしょうか?英語の先生に話したところ、アメリカだと、様々ですみ分けているところもあるし、そうでない場所もある、それぞれ問題が起きたり、そうでなかったりで、ケースバイケースだと言われました。

先日、テレビアニメ「海のトリトン」DVD(全27話)を貸していただき、視聴しました。その中に、粗削りながら、人種や種の違い、場所を巡っての争いなど、いろんな要素が出てきて、思っていたよりシリアスなお話でおもしろかったです。冨野由悠季監督の監督作なので、主人公が悩むところに、機動戦士ガンダムのアムロに通じるものを感じました。