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「脚本家&監督 井川耕一郎の世界」 映画上映とレクチャー レポ

12/7.8の2日間、シアターカフェでは本格的な映画のレクチャーを開催しようと、映画美学校の井川耕一郎氏をお招きし、企画を組んでみました。企画宣伝は坪井亜紀子さんで、今回、日本映像学会ショートフィルム研究会にも多大なご協力をいただき、実現した企画です。ありがとうございました。おかげさまで2回のレクチャーは予約で満席になり、当日キャンセル待ちの方など含め定員オーバーの入り。上映も4回ありましたが、ほぼ満席で、大盛況でした。

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まずはレクチャー1「悪あがきシナリオ講座 すらすら書けないのは当たり前」というテーマでご自身の作品「寝耳に水」のシナリオを資料にお話していただきました。
普段は映画美学校や立教大学で脚本について教えている井川さんですが、学生に書いたきてもらったシナリオをこうしたらいいんじゃないかというアドバイスをするタイプのもの、もしくはシナリオを読む、という授業はするけど、「シナリオをこうやったらうまく書ける」という授業をしたことがない、とのこと。そこで、「寝耳に水」という実例で話していただきました。
「寝耳に水」は1999年、映画美学校で第二期高等科で作った作品。講師が監督で、学生がスタッフをやる30分尺の作品を作るというもの。まずは企画を出せというところから始まり、田中具隆監督、山本周五郎原作の「冷飯とおさんとちゃん」をいうオムニバス時代劇の2話目「おさん」を思いつく。方向性を「おさん」として、次になにか現実に中から面白いものを探す作業をする。学生が書いた資料にSM雑誌の切り抜きがあり、それがとっかかりとなり、“奴隷契約書”というものを選んだ。そのときに“ファーブル”の狩人蜂の話を思い出し、これも加えた。もうひとつは“にいやなおゆき”の漫画を参考資料としてつけた。これで何かできないかと考える。どうやって話をつなげるか、あれこれいじってみて、作っては捨てる、では別の話をと作っては捨てる、これを繰り返し、この題材ではもう作れないな、やめようかな、と思う時が来る。もう限界だ、と思って酒を飲んでやめちゃう、この諦めが重要。たいてい諦めて酒飲んでぼーっとしてる時に何かとっかかりをつかむ。ということで、「おさん」に戻り、自分が一番やりたかった画は何かをさぐり、死んだ女について、男二人が語っているという画から出発すれば何か見えてくるのではないかと気づく。そうして自分の大学卒業後30歳ちょいすぎのころの自分の周りに起きたことを思い出したらかけそうな気がした。結末もまた「おさん」に助けられ、悪あがきして書いたが、結局映画を撮っているうちにシナリオ通りに映画は撮らなかった。それは役者が魅力的だったので、それにあわせてシナリオをいじらざるを得なくなった。いい演技とは潜在意識がいきいきと働いているときだといわれるが、シナリオでも同じ。方向性を決め、触発するような、潜在意識に訴えかけてくるようなものを探す。考えてはつぶし、の繰り返しだが、つぶしたものもまったく無駄ではなく、あとあと使えるときも来るので、書いていくうちに何かつかめるというのが結論とのこと。上映の時に「寝耳に水」もあり、実際どのようにできたのか、確認できて面白かったと思います。

2日目のレクチャー2は「永遠によそもの 映画監督・伊藤大輔について」語ってもらいました。
大学時代は神代辰巳、増村保造、洋画だとジャン・リュック・ゴダールとロバート・アルトマン、そういう監督のほうが好きだったので、伊藤大輔は縁が遠いと感じていた。映画の先生である渡辺護監督に伊藤大輔の「鞍馬天狗」の録画を頼まれ、見てみたら面白かった。徹底的に娯楽映画で設定もまったく違う。ティム・バートンの「バットマン」が今までのバットマンのイメージと違ったような感じ。「丹下左膳」でも江戸の町に隕石を落とし、町を燃やしてしまう。銭形平次が銭を投げるが、あとで拾う。それも銭が足りなくてそれで推理が始まるといった、へんなことを考える人だということでシナリオを読んで研究しはじめた。鞍馬天狗の資料をみるとト書きの上に○がついている。これはひょっとしてカット割りを書いているのでは。今まで映画のシナリオをシナリオっぽく書くことに嫌気がさしてきたころに、このように映画の設計図としてできるだけ詳しく書こうとする人がいるんだと知り、ショックだった。なぜこのような書き方をするようになったのか、伊藤大輔の生涯について、調べてみた。1898年生まれ、小山内薫に師事し演劇を志していたが松竹で脚本家になれと言われて、行かされた。当時シナリオの書き方が日本にまだなかったので、自力で作り出した。映画はシーンから成り立っている→シーンはカットからできている→それがト書きの上の○となる。また、シーンが集まるとリールの巻まで書いていたらしいが、それは書かなくてもいいと気づいたらしい。伊藤大輔はジョン万次郎と例えればわかりやすい。海で漂流して助けられたのが映画の国。仕方ないからその国の言葉を必至で覚えた。タイトルの「永遠によそもの」は漂流者の意味。何もわからない国に入って、生きるために言葉を覚えた。死ぬまで自分は映画が好きというわけでない。映画のお世界にたまたまたどり着いてしまって、ここで生きるしかないから必死で覚えた。今後こう言う人は出てこないであろう、映画の始まりにしか出てこない貴重なタイプだと分析する。
伊藤大輔の描くテーマは「分身」「身体欠損」「世界の破局」の3つだと思われる。
目の見えないヒロインが、目が見える人が読めない文字が見える。ものが見えることはどういうことか、ということを問いかけたいがために障がい者を出している気がする。
また暗闇の中で見る映画は、現実の分身が写っているだけにかかわらず、なにか恐怖を感じずにいられない、という何かがあるんだと生涯考え続けたんじゃないか。今後こういう人はなかなか出て来ない人ではないかと分析し、「鞍馬天狗」などの映像を見せてもらい、終わりました。話を聞き、映像をみるだけで伊藤大輔の魅力がびしばしと伝わってきて、全作品が見たくなりました。

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今回はこの2つのレクチャーのほか、井川さんの監督作品も上映しました。毎回井川監督の舞台挨拶のほか、「玄関の女」「弱い魂」の主演の本間幸子さんも駆けつけてくださり、上映だけでなく、有意義な企画となりました。編集の北岡稔美さんもご来場いただき、充実した2日間となりました。参加してくださった方もぎゅんぎゅん詰めで申し訳なかったです。また今後もレクチャーなど開催していこうかと思っていますので、よろしくお願いします。本当にありがとうございました。
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